買った本と読んだ本の備忘録。ジャンルは雑多。詩と小説。文学一般。性科学。歴史などなど。
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Author:安波茶40’s(改安波茶30's)
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A)「全体としては笑える叙述」を目指したはずなのに、かっこいいと誤解された片岡。その後も、文体模索の試行錯誤は続く。
T)ふむふむ。角川書店の「野生時代」という雑誌と、小説家片岡のつながりの話だな。 A)そう、雑誌「野生時代」に小説を書くことで、片岡の文体は固まっていくのだ。まず「野生時代」の創刊号に書いたのは、ハワイを舞台にした波乗りをテーマにした「白い波の荒野へ」という短編。片岡はその後、「ストーリーはない」というハードボイルドふうな小説とハワイを舞台にした中篇で、雑誌の編集者にしかられたんだって。 T)筋のない小説ってことか。 A)「読んでいけばそのままどんどんわかるストーリーを書け」といわれた片岡は、下北沢へ帰ったとき、駅前の商店街の書店の前でコミックスを立ち読みする中学生たちを見てひらめくんだ。「コミックスを言葉で書いたなら、それはたいそうわかりやすいはずだ」。 T)ふーん。下北沢にすんでたわけね。それにしても「たいそうわかりやすい」とか、いかにも片岡らしい表現だねえ。 A)その思いつきで書いたのが。映画にもなった「スローなブブギにしてくれ」なのだ。
T)おおっと!その映画見たぞ。浅野温子と山崎勉が出てたやつね。すごくかっこいい感想を持った記憶あり。今見たら赤面ものかもしれないけど。
A)でも本人は「かなり無理をして書いている」と振り返ってる。ヒット作になったのに、何か違和感を覚えていたみたいだ。まあ映画は論外だと思うけどね。 小説を書くにあたって、アメリカという一方の端まで、僕という振り子はいったん振れた、ということだ。そしてすぐそのあとには、日本を舞台にした若い主人公たちの、言葉によるコミックスというもう一方の端へ、その振り子は振れた。 (中略)小説へと脱出していくにあたって、自分が使うことの出来る言葉づかいの幅がどのくらいであるのか、それをまず僕は自分自身に対して明らかにしなくてはいけなかったようだ。(p303) T)意外と小難しい人だね。 A)いやいや、これって真摯な態度だよ。弛緩した文章で「小説でござい」という顔をしている作家たちにはない、倫理的な態度だと思うよ。 続く部分で、片岡の自身の文体についての捕らえ方が良くわかる。 創作された小説は、程度の差はさまざまであり得るとして、日常を離れた非日常の時空間のなかの出来事だ。そのような時空間のための、日常のものではない言葉づかいを、僕は捜し当てなければならなかった。(p303) T)そうか。片岡の小説が浮世離れしている印象を与えるのは、言葉を意識的に抽象化しているからなんだ。 A)正解! 本人はこう説明している。 都会の男女の洒落た関係の小説、とほとんど常に言われるような小説を十年近く書き続けた後、僕が見つけたのは、現実感のない言葉づかいが作り出す近未来のような世界だ。小説は代案の提示だ、と僕は思っている。(p315) つまり、片岡はどこの時空間にも属さない言葉によって、読者を違う世界にいざない続けてきたんだってこと。すごい作家だよ。 少なくともあれだけの本が刊行されて、受け入れられていたということは、その時代の若者を中心とした読者が、現実感のない世界を求めてたってことなんだろうね。 【現在買える片岡義男の本】 T)今回も小説の話ではないわけね。 A)前回紹介したエッセイシリーズのひとつ、「僕が書いたあの島」(太田出版、1995年)のあとがきが、すごく面白いんだよ。片岡義男の小説観や言語観、それに出自に関するヒントが、いっぱいあってさ。まずこれを紹介したいと。そういうわけ。 T)アメリカで育ったかもしれないって話か? A)そう。このあとがきには2本の柱がある。ひとつは、片岡が小説のデビュー作について書いた「脱出経路としてのデビュー作」という文章。もうひとつは、「頬よせてホノルル」という本が刊行されたあと、新潮社の編集者にされたインタビューを自分で思い起こしてまとめた文章。後者のほうに、片岡の出自についての言及がある。 祖父はマウイ島のラハイナで砂糖きび畑に水を供給するための、複雑な給水システムを管理する仕事を続けた人ですし、父親はラハイナで生まれホノルルで育ち、カリフォルニアで仕上げをした日系二世です。ぼくにはどこにも故郷はないのですけれど、ひょっとしたらハワイは故郷かもしれない、と思うことはよくあります。(p308) やはり幼少期はハワイにいたということじゃないかなあ。 T)でも、自分がどこに生まれて、どこで育ったかについては巧妙に触れていないよね。 A)うーん。それは確かに…。 T)事実としての片岡の出自なんか、別にどうでもいいんじゃないの? まめ知識やら、こぼれ話としては、何かの役に立つかもしれないけど。それより片岡の小説観の話ってのは何? そっちの方が興味あるけど。 A)その小説観とアメリカに出自を持つことの言語観というのが、絡まりあっていると思うんだけどなあ…。 T)まあ、それは置いといてさ。ここでは片岡の小説デビュー作ってのがカギになるわけ? A)まずは小説に行く前の話だけど、前にも紹介した「テディ片岡」名義の本のこと覚えてる? T)ああ、あのジョーク本みたいなやつね。 A)片岡は大学生のころから活字メディアに文章を書き始めて、あらゆるタイプの雑文を二十代後半まで書き続けたと回想しているんだけど、その中で、ひとつのまとまった仕事として初めて手がけたのが、「僕はプレスリーが大好き」という評論なんだ。今は改題されて「エルヴィスから始まった」の題で出版されている本。ロックとは何かについて書かれた、面白い評論。この本が節目になって、片岡は雑文から評論や翻訳のほうに仕事をシフトさせていくわけ。で、その執筆スタイルからの転進が必要になってきたんだって。 記述から叙述へ、つまり物語や小説に向けての、脱出の必要だ。(中略)それまでとは違うところへいく必要、というものが起こって来る気質を、僕は持っているらしい。(p296−297) で、その脱出経路になったのが「ロンサム・カウボーイ」という作品。これが作家デビュー作になる。 T)ふむふむ。 A)面白いのは、片岡がこの小説デビュー作をかっこよく書いたつもりじゃないってこと。 アメリカが持っている特徴的な光景を僕の好みにしたがっていくつか採択し、それに関してユーモア的に描いた物語を、僕は目標とした。(中略)全体としては笑える叙述を僕はめざしたのだが、出来上がったものは、これこそ本当の恰好いいアメリカだ、と誤解されることとなった。(p297) T)ええっ! じゃあ、あのすかした文体は、ユーモアのつもりだったの? A)「すかした」って言うなよ。それまで日本にはなかった文体だから、かっこいいって感じられたんだよ。今みたいにアメリカ文化が直接日本で見たりできる時代じゃないんだからさ。ちなみに「ロンサム・カウボーイ」が本になったのは、1975年。もちろんインターネットなんかない時代だからね。 T)う〜ん。片岡の文章に酔った人には、驚きの告白だ。 A)その誤解が、片岡を次の段階に進ませたんだと思うよ。少なくとも、若い世代に受け入れられたことで、「小説家・片岡義男」として次の作品を書くことを求められるようになったわけだろうしね。
T)あえてカテゴリーを作ったから、予想はしてたけど、こんなに早いペースで片岡義男が来るとは…。
A)この「片岡義男エッセイ・コレクション 自分を語るアメリカ」(太田出版、1995年)には、片岡の出自のヒントもいろいろ入ってるんだよね。 ![]() アメリカの有名な絵本シリーズ「リトル・ゴールデン・ブックス」について書いたエッセイでは、こんな風に書いている。 ぼくにとって乳母のような役をつとめてくれいた美しい女の人に、リトル・ゴールデン・ブックを全部ほしい、と言ったら、あなたにとって重要なのはこの絵本をみんな手に入れることではなくて、手に入ったものを最大限に吸収して自分のものにすることです、と英語で諭されたことを、いま思いだした。「リトル・ゴールデン・ブックスを開くと子供の頃のぼくがいる」(p14) あと、こんな箇所もある。 高校の終わりまで英語による教育を受けた少年にとって、どこの国のどのような町でも、英文字で書いてあるとさほど異国的な感じは受けない。見なれたアルファベットがならんでいるだけだ。ところが、おなじ地名をカタカナで書くと、雰囲気はまるでちがってくる。 「地球を照らす太陽光の純粋な原型」(p108) つまり片岡は英語圏で幼少時を過ごしたってことの傍証だな。まあ、片岡が本当のことを書いているって前提だけどね。 ちなみにリトル・ゴールデン・ブックスってのは、こんな感じの本。 ![]() T)そっちも幼少時にアメリカで育ったくち? A)まさか。これは米軍基地の中で開かれるフリーマーケットで買った本。といっても、別の本をかったら、オマケでくれたんだけどね。幼児向けだから、きっと君にも読めるよ。 T)さりげなく馬鹿にしてくれるねえ。しかし片岡さん、色んなテーマで書いているね。 A)アメリカについて書かれた本、について書かれたエッセイを集めた本、なんだよ。このエッセイ集は。 T)舌噛みそうだ。 A)アメリカの絵本、雑誌、車、食べ物、植物、ファッション、などなど。全部で77本。英語を難なく読める片岡だからできたってことだろうな。自分の個人的な感触を交えながら、取り上げる対象について語っていくスタイル。遠くに植草甚一の姿が見える文体だ。 T)そういえば、植草の後の「宝島」の編集長だったんだよね。 A)いや違う。植草は編集顧問で、初代編集長が片岡だよ。確か。で、片岡は後任の編集長の小泉徹と共著で、「ぼくらのアメリカ切抜帳」なんて本も出している。それがこれ。 ![]() T)しかしこれも汚いねえ。もっときれいに保存してたらいいのに。 A)いやこれは最初からこうなの。当然、これもブックオフからの戦利品。100円なり。 T)なるほどね。これは面白い。しかし変な本だよ。これもっと上質の紙でかっこよく作れば良かったのに。もったいない。このSF雑誌の表紙写真の部分なんか、カラーで見たいなあ。 A)でもこの本は1976年の発行だからね。そういうアメリカのポップカルチャーに興味のある世代は、まだ金がないころ。80年代後半なら、きっとマガジンハウスあたりが作ってくれたんだろうけどね。それにしても、久々に読むと、片岡義男ってやっぱり面白いよ。いま、本棚ひっくり返して色々探している最中なんだけど、今度は小説でも紹介しようか。 T)片岡シリーズは続くわけね…。
T)何だこれ?
A)古本だよ。こんな珍本が105円で買えるから、ブックオフってあなどれない。テディ片岡の「20世紀最後の珍本 5分間ごとに脳ミソがしびれる」(1969年初版、KKベストセラーズ)。ちなみに、奥付では何と1975年に18版となっている。 ![]() T)珍しいの、これが? 古臭い、ジョーク本にしか見えないけど? A)ははあ、さては知らないな。これ、片岡義男が有名になる前のペンネームなんだよ。 T)こんな妙な本が? 本当? A)ほら、裏表紙。片岡義男でしょ。この写真。 ![]() T)おおー、確かに面影はある。何と! 1940年3月20日生まれ! じゃあ67歳なのか! A)でも、本の中身は今の片岡義男という作家の面影はないよ。 T)片岡義男といえば、映画にもなった「スローなブギにしてくれ」とか「ボビーに首ったけ」とかのイメージかな。高校から大学にかけて、特に角川文庫の赤い背表紙の一群が本屋でもずらりと並んでいた。最近では日本語とか映画についてのシリアスな論考が話題になったね。格好よくて、おしゃれ。まあ口の悪い人たちには「キザ」の一言で否定されるような作家だよね。 A)この本を読んだら、そのイメージはふっ飛ぶ。ぶっちゃけた話、エロとグロとナンセンス。それがこの本の中身。とてもあの片岡義男の手になるとは思えない。 まずエロのほうでいうと川端康成の「雪国」を大胆に改作している。片岡の弁はこう 『雪国』のなかにあるテーマの重要な部分だけをあっさり抜き取ってみじかく書き直した、これはパロディというよりも改良作とよんだほうが、あたっている。(中略)ようするに『雪国』は、日本という国の寒い部分が持っている情緒を背景に、ひとりの男がひとりの女をつまみ食いし、最後にその男が女のほうにふられる話しなのだ。青年期に読むべき名作として、中学生の女のコなどが読んでいるが、これは間違いというよりも、川端氏にとってもまた読者にとっても、かわいそうなことだ。 (p219) で、あの「雪国」を俗語たっぷりの官能小説に書き換えているんだ。 T)うわーっ。結構露骨な表現がたくさんだね。ちょっと引用するのもはばかれるぐらいだな。 A)ナンセンスな部分は、こんな感じ。 ラジオのアナウンサーが裸でアナウンスしたら、それは聴取者に対するワイセツ行為になるだろうか。(p88) 東京都の実物大の地図を作ってみたい。(p153) T)…。だから何だって感想しか出てこないけど…。 A)それでいいのだ。この本はそんなアホ臭い時間つぶしのために書かれたものだからね。 T)うーん。それにしても、「人に歴史あり」だなあ。 |